本と山とハンガリー人 Books, Mountains and a Hungarian

好きな本と山、そしてハンガリー人について語るブログです。

放出 もしくはan apple pie in the sky

多和田葉子の本「エクソフォニー 母語の外へ出る旅」を読んでいる。エクソフォニーexophony とは、母語以外の言語で文学を書く という意味がある。多和田葉子さん自身が、日本で育った日本人でありながら、大学卒業後にドイツ・ハンブルクに移住し、それからドイツ語と日本語の両方で小説を書き続けている移民文学の騎手だ。

どのエッセイも面白く読んだのだが、中でも面白かったのが、「単語の中に隠された手足や内臓の話」という、ネイティブではない人が外国語の言葉をどう捉えるかについて書いたもの。

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合成語や慣用句などは、中に面白いイメージが隠されていても、普段私たちは、それを気に留めないで使っている。わざと、そこを気に留めてみようというのが、このワークショップの狙いである。外国語を学んでいる時の方が、母語でしゃべっている時よりも、そういうことに気がつきやすい。それは、外国語の単語が母語とは違った分類法で、頭の箪笥に入っているということではないか、とわたしは思う。例えば、母語が日本人である人の場合、「虫の居所が悪い」という表現と「機嫌が悪い」という表現が、同じ引き出しに入っている。日本語が母語でない人の場合は、「虫の居所が悪い」という表現は、「鈴虫」や「虫歯」や「弱虫」という単語と一緒の引き出しに入っている。母語の慣用句の場合は、レストランで出た食事のようなものだから、そのまま食べるだけだ。外国語の慣用句は、生成の過程がなまなましく見えるから、出来合いのお惣菜を買って来たようなもので、そこに自分で大根とか胡椒とか加えてやろうという気にもなる。ナボコフの研究家の人が教えてくれたところによると、ナボコフは英語の慣用句 to cut a long story shortを少しだけ変えてto cut a long story quite shortとかいたりしているそうだ。日本語ならば、例えば慣用句をいじって、「手短なだけでなく、足短に言えば」などということもできるかもしれない。

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日本で生まれ、日本で育って日本語の教育を100パーセント受け、さらに新聞や雑誌に「正しい」日本語を書く職業訓練を受けた私は、短歌や詩、コピーライティングなどで日本語と格闘して言葉遊びをしようとしても、あくまで「正しい」日本語を崩すところに一切気持ちも頭も回らなかった。上記の「手短なだけでなく、足短に言えば」は、一方で足ではなく違う体の部位を当てるべきなのではと感じながらも衝撃だった。

会社の同僚に帰国子女で、北米に住んでいた期間が長く、両親はともに日本人なのだが英語の方が言語としては強く、日本語は口語的に話せても読み書きが極端に弱く、話し方も日本語が上手な外国人に一瞬は思えてしまう感じの女性がいる。彼女を交えて私を含め5人の日本人で会議をしていた時に、そのうちの一人が「それは絵に描いた餅ですよね」と言い、彼女は全く理解していない顔をし、私がとっさに「a pie in the sky」のことね、英語では、と助け船を出したことがある。例えばこれはーー「絵に描いたよもぎ餅」「絵に描いた豆餅」でも良いのか。洋菓子が広まっているこの現代、「絵に描いたチーズケーキ」でも良いのか。なんなら英語に合わせて「絵に描いたパイ」「空のキャンバスに描いたパイ」でも良いのか…。さらには、英語を外国語として使う私からすると、a pie in the skyは、an apple pie in the skyや、a pumpkin pie in the sky、はたまたa red bean rice cake depicted in the skyでも良いのか…などと、思われてくるのである。

 

ネイティブではない人は、外国語をネイティブと違う形で習得しているというのは本当にそうで、大阪に住んでいる英語圏出身の外国人(そのほとんどが日本人女性と結婚している)の集まりに参加した時に、強くそう感じたことがある。大阪の京都寄りの地名に放出というのがある。日本で育って日本語教育を受けて漢字を日本の小中学校で習った人にとっては、これはほうしゅつとしかまず読めないであろう、と思われる。ものすごく読みづらい大阪の地名の一つである。四條畷(しじょうなわて)も難しいが。

この、日本語がそこそこ話せる、大阪歴が10年、20年になる英語ネイティブの男性たちと関西の地名の話になった時に、まず四條畷は、漢字も難しいということで見解が一応一致した。次に放出。しかしこれは全く同意が得られずだった。確かに漢字自体は難しくない。でも小中学校で訓読み音読みを習った身としては、めちゃくちゃイレギュラーな読みで、読めない。だが、外国人で大人になってから大阪で日本語を学んだ身からすると、だってそれは「はなてん」でしょ、駅名でしょ、そういうもんでしょ、という反応だったのだ。逆に、私が放出の読みがなぜイレギュラーで難しいと思っているかが単純に感覚的に理解できないようだったのだ。

だとすれば、放出が当たり前に「はなてん」と読むと思っている日本語話者が使う日本語、書く日本語はもちろん、私のようなネイティブで日本語で「正しく」書く教育を職業教育も含めある意味excessiveに受けてきた人間の書く日本語とは随分と違った広がりを見せるのだろうなあ、と、思うのであった。

私が書く英語に関しては、もうちょっとというよりもうだいぶ鍛錬が必要だが、それを経た後に、自分が紡ぐ英語が、放出を難しいと思わないようなある意味自由でよりプラクティカルな向き合い方を反映した何か面白い形のものであったらいいな、と、思ったりするのである。今の所は、a pie in the skyを何パイにするか、和菓子に変えられないか、マカロンの方がカラフルでビジュアル的には空の青色に映えるのでは、などと想像するくらいのものなのであるが。でもまあ、餅の方が実は洋菓子より好きだから、絵に描いた餅と融合するのが自分の感覚的には一番合ってるなあ。